東新レゾナント

舌を噛む

コンビニで買って、口に入れた瞬間、それが違うことにすぐ気づきました。
輪ゴムの味がします。

よく見たら、フェイクミートでした。
大豆で作ったくせに「肉厚半生ジャーキー」なんて分不相応に生意気な名乗りをしている。
だったらこんな写真のせてんじゃないよと。

「噛めば噛むほど牛タン」
牛タンとは言ってない。「噛めば噛むほど」牛タン。なので、噛まなければ牛タンではない。
牛タンじゃないと思ったらお前の「噛み」が足りない。と。そういうことなんでしょうか。

でもこの写真は完全に牛タンを使ってるでしょう。どうなんですかこれ。グレーですよね。

ちなみに牛タンの味は一切しません。焼き肉のタレの味がしますが、焼肉屋に行って牛タンを頼むとだいたい、塩とレモンで食わすはずなので、それも違うし。

これは個人差ですが、噛めども噛めども、ただ輪ゴムです。牛タンは一向に現れてはくれませんでした。似ても似つかない全くの別物です。牛タンのgの字も無い。素人が修復した壁画のように別物です。

ただ、なんのことはない、大豆だと言われて、気づきました。油揚げです。
油揚げだと思って食べれば、完全に油揚げであり、油揚げ以外の何物でもないくらいに一致しました。こうして人間は簡単に騙されます。

ただ、フェイクミートだと分かっていたら、絶対に買わなかったので、厳重抗議の意を表明したいです。これなら「蒲焼さん太郎」を食ったほうが良かったです。こんな世の中に誰がした。

こんどイデオロギーポジショニングでそういう主張をしてくるヤツがいたら「お前みたいなやつのせいでエラい目にあった」と怒鳴りつけてやろうと思います。でも相手が汐留の社員だったら言えないですね(私にも生活がありますので)。渋々アグリーせざるを得ません。汐留に命令されたら教義に反してまでサウナでメディアアートを見たりしてしまうかもしれません。生きるって大変ですね。引き続き何卒よろしくお願いいたします。

先週思ったこと

アヘン・コカイン・マリファナ・ヘロイン
たまにやってパーになって〜
やらんふりして たまにはやらないか

これは、ゴロがあんまりよくないんです。
アヘン・コカイン・ヘロイン・マリワナ
の方が譜割りとしては良いと思います。少なくともシラフの状態ではそう感じます。

ちなみに、我々の世代ならこうです。

ダチュラ・サルビア・ラッシュにリタリン
安いネタだとBAD入って〜
ゲバラ看板 ハーブ屋 行かないか

こういうのを書くと
「甲殻類アレルギーの人の事よく考えて下さい!食べ行こ〜言われても、カニ食べれない人もいるんですよ!」
「ああ、それは申し訳ございませんでした。お気持ちはよく理解しました。ですが、それは違う曲だと思います。アジアの〜と渚にまつわる〜は違う曲です。調べてみて下さい」

…とまぁ、こういう商売をしておりますと、クソリプに煩わされるというのはよくある事でございますな、ツイッターをやってるとつらいことがたくさんありますねえ。疲れてる時に醜悪なツイートを見るとキツイですよね。じゃあそんなもんやらなきゃいいじゃねえかと簡単に人はおっしゃいますが、それができたら誰も苦労しないわけでして。ツイッターが劇毒だというのは論を俟たない所ですが・・・。そんな中、最近、そう言ったゲロツイートに対処する1つの方法を見つけました。

「こんなどうしようもないクソみたいなやつでもご立派に専門家ヅラできちゃうんだから、
この国は平等で開かれているってことなんだなぁ」

と思うことにする。という手法です。ただ一方で、早く免許制にしろボケ。とも思うわけですが。まぁ昨今しきりに叫ばれている「多様性」というのは、こういうクソみたいなやつもツイッターでバズっていい。と認めることなんだと思いますが、そうだとすると、この世は地獄だなぁ。と暗澹たる気持ちになります。だったら俺にもあなたにも平等に紅白出場の権利があるわけだから、一度くらい出してくれてもいいのではないでしょうか。これは差別ではないでしょうか。フジロックからもオファーがありません。おかしいのではないでしょうか。シティポップや昭和カタログで儲けてるのは一部の政治結社、党員だけなのではないでしょうか。ショバ代を払わなくても参加権が付与されるのが多様性と平等な社会というものなのではないのでしょうか。違うんですか。そうですか。

そういえば、こないだ「多様性と画一性」というテーマで「ケチャップ」について書かれていたのを本で読みました。相当意訳しますが。- ケチャップというのは、画一性の記号であり、なんにでもそれをかけるという行為についてあまり褒められたものではないとされていますが、食いづらいものをマスキングする便利なツールだという側面もあります。それらを愛好する人間(マヨラーみたいな人たち)は、決してバカ舌なんかではなくて、むしろ舌が鋭敏すぎるからこそ、舌への刺激をマイルドにし、未知で食いなれぬものからの刺激をマスキングして快適に摂取するために、慣れ親しんだ味にしているのではないか。ケチャップやマヨネーズは画一性の権化みたいな調味料ですが、時にそれは誰かを助ける場合もあるんだと。
また、人の握ったおにぎりが食えない敏感な方がいらっしゃいますけど、そういった方にとって、工業製品たるファストフードというのは大変に信用のおける安心安全な食べ物として挙げられることがあるようです。
「新しい食い物との向き合い方、それに対する態度」を味覚やセンスに含めるかどうかについてはここでは議論しません。いつも同じものばかり食って、開拓・冒険しないやつはバカ舌ではないか?と声高に主張したくなった場合は、あなた、差異化闘争に適応・特化しすぎています。あなたは記号を食べていますので、一度病院で診察を受けることをオススメします。

ファストフードの特性である「どこで食っても同じ味」という安心感。見知らぬ土地では、心の拠り所となる時もあります。時空を超えて誰にでもアクセスが可能で、とってもオープンで平等な食い物です。一方、ファストフードを「非サスティナブルざます!!!!劣悪な食い物ざます!!!」と目くじらを立てる意識高い系。そんな方々が大好きな、ローカルでオーガニックな多様性をまとった食い物は、値段が高いしアクセシビリティも悪く、大変クローズドな食い物です(ただ、その本にはこういう二項対立に矮小化してはいけないぞ。とも書かれていました)。
「多様性」というのは一部のグローバルエリートの金のかかる趣味でしかないんじゃないかという批判があります。そうすると、どこへ行ってもファストフードを食うリーダーというのは、その対極にいた、見事に言行一致の振る舞いをする象徴的な人だったわけです。「いや待て、グローバリズムと戦うぞ!と息巻いてる人が世界中に展開するグローバルすぎる食い物を喜んで食ってるってのは一体どういうことなんだ」とか言ってこられても知りません。あなたと論議をするつもりはありませんので一度病院で診察を受けることをオススメします。

アクセシビリティという観点からファストフードを捉えてみるというのはなかなか今っぽい視座だなあと。いつでもどこでものファストフードに身体を預けられるということは、ローカリティを気にしない(こと食い物においては)って事だと思いますが、私が大久保・百人町に来て間もない頃、「いつか人類がスペースコロニーに引っ越して、”アジア圏の住人はこの区画で暮らせ” と指示されたとしたら、こんな感じにの町並みになるのかなぁ」と思ったことがあります。でもそんな「ローカル」とか「グローバル」とか細かい事を考えてる暇がないくらいブッ飛ばされる街なんですが。「多様性」とかそういうシャレた流行語もブッ飛ばされます。まず、未だに日本語が通じない店がいくつもあります。そこでは日本人はマイノリティであり、排除されます。メニューに排外主義が見え隠れします。見ても分からないんです。値段しか分からないんです。かろうじて日本円を払えば客として扱ってはくれます。そこは平等です。
金と暇を持てあまして何に触発されたかクミンシードやらカルダモンなんかを買いに来てるご婦人が、スピーカーホン通話中のまま金を数える、無表情でぶっきらぼうな店主に接客されてウットリしているのを見た時に、平等と多様性を実感することができます。エキゾだなぁ〜とこっちもウットリします。
我々が提唱する「エキゾ道」というのは「ウチ」と「ソト」の定義づけのスキルと言っても良いでしょう。
オリエンタル価値を高めたかったら、ローカリティを高めなさいということも商用エキゾ理論で教えることがあります。「東京復興ならず」という本にもその辺の面白い話がかいてあります。他者の目を通して自国を捉える「セルフエキゾ」に適応しすぎた日本人という考察。詳しくは有料メルマガで。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/85017?page=4

いやし中華 はじめました

みなさん、癒えてますか?もし、そうでないなら、この社会に問題があります。
叩き潰しましょう。粉砕あるのみです。一緒に頑張っていきましょう。

巷ではサウナなんてものが大変流行しておりまして、各社メディアでもプロモートに余念がない。私は目が悪いのでサウナには入らない(テレビが見えない)のでさして興味はないんですが、お金と時間を使ってまで「整え」なければならない物って、一体なんなんでしょうか。そんなに乱れているのかと。それはそれは大変なストレス社会であります。
モーレツにモダニックでございますね。意識が高すぎる。ただまあ「ひとっ風呂浴びで一杯やる。」この爽快感についてはもちろん承知しております。議論の余地はありません。全面的に「アグリー」です。あんたらの好きな「アグリー」です。鈴木はアグリ、牧場はアグラ。

「癒やし系」というのと「卑しい系」というのは、紙一重です。
どういうわけか「癒やし系」ってのは、突き詰めていくとスピリチュアリズムになっていきます。軽い気持ちで癒しグッズをロフトで買ってただけなのに、気づけばカリスマヒーラーに数十万を注ぎ込むことになっていた…という例もあるとかないとか。
いまや「ヒール系ポルノ」は10兆円市場とも言われています。(要ファクトチェック)
あ。そういえば「ファクトチェック」と「フィストファック」は似ていますね。
いや、待ってください。いいですか。これをキチガイの戯言と簡単に片付けてはいけません。
「似ている」ということは、これら両単語の間に、何か関連があるということです。
「ファクトチェック」と「フィストファック」には何か関係があります。ぜひご一考下さい。

さて。先日喫茶店で打ち合わせをしていた時に、「親」の話になりました。なんで親の話になったのかは覚えてませんが、話し相手の方は「父親が革命戦士だった」というのです。驚きつつ大変興味深くお話しをうかがっておりました。まあでも不思議なことではないと思います。世代的に探せばそういう方は割といると思います。ちなみに、ジャズはコルトレーンだそうです。

一方、私の父親はといえば、シラケきったノンポリ無軌道学生だったような気がします。ジャズはもう電化し切った後のフュージョンで、ロックはサイケで、いまでも言動がちょっとアシッドです。

「親がバブル紳士だった」という人も、いると思います。中学生の時の友人がそうでした。一緒にやっていたコピーバンドのボーカル「カワグチ君」(友人Kですね。)の家にいくと、いつもお父さんがいました。いつ行ってもお父さんが家にいました。聞けば、住んでるビル一棟がカワグチ君の家の持ち物だというのです。ちなみにそのビルの1Fはお母さんがやってるブティックでした。ああ、これは完全体だ。と思いました。
そのバブル紳士を親に持つ友人カワグチ君は、青眼の白龍(ブルーアイズホワイトドラゴン)を複数枚所有しており、地元じゃ負け知らずでした。でも決して嫌味な感じはなく、明朗快活な少年という感じでした。

親がブラックエンペラーだった。親が工藤静香の親衛隊だった。親が成り上がり読者だった。というのも、周りに探せばそれなりにいそうな気がします。ただ、まだ会ったことないのが、親がコギャルだった。の人です。親がマンバだった/親がナイトオブファイヤーをよどみなく踊れる/ケータイ小説で泣いた/美白の神が鈴木その子/眉毛がもう生えてこないお母さんEtc…..
会ってみたいですね〜。でもリアルタイム世代の本人が申告するだけでは意味がないんです。そんなのは知ってるよと。「子」から聞きたいんですよね。子が自ら語る言葉で、どう語るのか。とても興味があります。概ね肯定的に語られることが多いと思いますが。

母が元「ぴえん系量産型地雷女子」で、ダンディ系列に数百万をつぎこんでいたらしく、若い頃は金で苦労したようだ。と語る新人エッセイストがデビューする未来がすぐそこまで来ております。歌舞伎町は今日も雨でした。

今週思ったこと

反省点:
よかれと思って少しサービスしたら、全体重で寄っかかってこられたので、大変苦い思いをした。しっかり線引きをして、ここまではやれる/これ以上は有料 というのをハッキリ言うのもプロフェッショナル仕事の流儀の一つなのだということを学んだ。だが、完全にトサカにキた。ので次回以降は絶対に断ることにした。知らないだけなんだと思うけど「やってもらって当然」の感じでくるので、「本当はお金かかることなんですよ」と言ったら「そこまで頼んでない!無断発注だ!」と急に真っ赤な顔でトチ狂ったので、もうこういうことはヤメにしようと思いました。きりがないから。欧陽菲菲。

プロフェッショナル仕事の流儀という文字列をタイプしている時、頭の中であの、スガさんの歌声がなっていますが、今ふと思ったんですが「Progress」(プロフェッショナル仕事の流儀)と「サンサーラ」(ザ・ノンフィクション)を入れ替えた状態で映像を見たら、なかなかアカデミックではないでしょうか。Progressの意味は「進歩」 サンサーラの意味は「輪廻転生」だそうです。

さて、本題ですが、
乱世には詐欺とスピリチュアルが流行る、情報過多社会ではスピリチュアルが流行る。
ニュースで「塗るだけで痩せるクリームが」「偽物の猫リュックが」など騙し系の事件がよく報道されていました。怪しいビジネスとしては割とオーセンティックな手法だと思いましたけど、令和でも有効なんですね。スピリチュアルについて。

参考図書:
新宗教を問う
現代オカルトの根源
完全教祖マニュアル

新興宗教のほとんどはサンプリングで、オカルトには大ネタのブレイクネタがある。
・「ブラヴァツキー夫人」の神智学とその亜種
・ダーウィン進化論のオルタナティブとして登場:霊性進化論
・現世利益と心直し。教義と救済。神仏習合とその潮流+スピリチュアル
・きっかけはだいたい誰かが神がかることで始まる。預言と教祖。

メモ:
感覚のバグは、最新テクノロジーを先取りする
無線電話は幻聴を再現するデバイス。ARは幻覚を再現するテクノロジー。

強迫のダイバーシティ

失敗したくない若者たち。映画も倍速試聴する「タイパ至上主義」の裏にあるもの
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/84099

これを読みました。
だとすると。だとするとっていうか、これは何にでも言えることですけど、
「オタク・アビリティ」を装着するために必須のクエストってのがあるわけですよね。
通っておかないといけない必須教養みたいな。

「オタク・スターターパック、見なきゃいけないタイトルリスト」

とでも言うんですか。なけなしの貴重な貴重な可処分時間をはたいて、やっと無事クリアしても、
そうやって晴れて「オタク成り」したような奴らのボキャブラリーは、横並びになるわけですよね。
みんな同じものを見てるわけですから。そこに差異はないわけですね。オタク1年生だから。

で、ですよ。オタクっていうのは、仲良しこよしじゃあありませんよね。構造としては、ヤンキーとなんら変わりは無いわけです。彼らも彼らなりに、差異化の闘争でピラミッドを作っている。
そこに危機感を焚き付ければ、また新たなステージが見えてくると思いませんか。

「へー。まあ、みんなそれは教養として一通り見てるよ。で、キミは何が好きなの?今期の覇権はどれ?それ以外だと、どんなの見てるの??」

というマウンティング合戦が必ず起こるわけです。
そこで、出てくるのは、こういうのです。

「マイナーコンテンツをたくさん覚えてライバルに差をつけよう!」

みたいな。品もクソもあったもんじゃない。恥も外聞も知ったこっちゃない、地獄の邪悪マーケティングです。
迷える子羊たちに、差異化闘争に必要な武器を売るんです。

検索不可能性は大事です。でも誰も知らなさ過ぎても駄目。集団での共有可能性も必要です。
その合間を絶妙に縫う事こそが最優先事項だ。という風を吹かせましょう。とにかく吹かせましょう。
ふくんですよホラを。ポーーーっと。「そうだ」と思ったらホラを1回吹いて下さい。「激しく同意」と思ったらホラを2回吹いてください。そうです。ナイスです。

ビットコインみたいに「マイニングに成功した300人までしか見れないアニメ。」とかInitial Anime オファリング(これは、いわば凡人用の製作委員会になりますね。簡単に言えばクラファン)とか。
詐欺のタネが増えそうでワクワクしますね。詳しくは有料メルマガで。